一般社団法人日本公衆衛生看護学会

第7回 アメリカの公衆衛生看護の母は?

国際委員会より、海外におけるPublic Health Nursingの発展の歴史をご紹介します。

アメリカの公衆衛生看護の母といわれる人物は誰ですか?
 リリアン・ウォルド(Lillian Wald)(1867-1940)という人です。
 Public Health Nursingという言葉を初めて使いました。1912年にアメリカに「公衆衛生看護協会」が誕生しています。リリアン・ウォルドが初代の会長でした。当時、アメリカで急速に広がった訪問看護婦の活動と訪問看護の団体は1914年には2000以上にもあり、訪問看護サービス団体のほかにも,保健局,教育委員会,保険会社に加えて,デパート,企業,病院,セツルメント,牛乳配布・乳幼児委員会,公園,ホテルに訪問看護婦は雇われていました。これらの団体を組織する動きをリードしたのがリリアン・ウォルドでした。
主にどのような場で活躍したのでしょうか?
 貧困層の人々が住む地域に「ヘンリー街セツルメント」を創設し、家庭看護、訪問看護を行っただけでなく、当時の保健局とも交渉をして、学校に訪問看護師を派遣し、健康診断や健康教育を行いました。アメリカで学校における看護を始めた人でもあります。彼女の活動を読むと、アウトリーチ、アドボカシー、公正といった、保健師に求められる活動や理念がちりばめられています。
公衆衛生看護協会は問題なく発展したのでしょうか?
 リリアン・ウォルドの死後、1953年に解散しています。その背景には、公衆衛生看護の特徴ともいえますが、公衆衛生の名のもとに仕事が拡大し、「当時新しく活躍し始めたソーシャル・ワーカーとの区別がつかなくなってしまったことを認めざるをえない者も存在した」という内部の状況もあったようです。さらに、公衆衛生看護婦の拡大は,病院や医師会の反対はもとより,経済恐慌時代におけるニューディール期の根強い公的医療への社会の反感があったといわれています。
リリアン・ウォルドはアメリカでどのように受け入れられていますか?
 1922年にニューヨークタイムズ紙はウォルドをアメリカで最も偉大な12人の女性の一人に選んでいます。また、”ニューヨークの傑出した市民”としてリンカーンメダリオンを受賞しています。その他にも、1993年には、国民女性殿堂入りを果たすなど、アメリカの偉大なPublic Health Nurseとして尊敬されています。
日本でもその活躍はよく知られていますか?
 残念ながら、日本では彼女の活躍は広く伝えられているとは言えません。看護協会出版会が出している「ヘンリー・ストリートの家―リリアン・ウォルド 地域看護の母 自伝 リリアン ウォルド」(日本看護協会出版会)があります。その他に、杉山恵子氏の「公衆衛生看護婦 1890-1930-ナース・鞄の看護婦たち Part1/2」という総説があります。しかし、これらの記述を読むと、リリアン・ウォルドは確かにPublic Health Nurseであり、Public Health Nursingの母といえる活動をした人だということがわかります。

 

上記のリリアン・ウォルドの記述は下記の情報をもとに作成しました。
1. クリスティン・ハレット著.中村哲也監修.小林雅子訳ビジュアル版 看護師の歴史.東京.国書刊行会.2014
2.杉山恵子. 公衆衛生看護婦 1890-1930 : ナース・カバンの看護婦たち Part 1. 恵泉女学園大学人文学部紀要,15,15-35.2003
3. 杉山恵子. 公衆衛生看護婦 1890-1930 : ナース・カバンの看護婦たち Part 2.恵泉女学園大学人文学部紀要,16,3-22
4. Karen Buhler-Wilkerson, Public Health Then and Now  Bringing Care to the People: Lillian Wald’s Legacy to Public Health Nursing. Am J Public Health.83:1778-1786.1993.
5. Ruel SR. Lillian Wald: a pioneer of home healthcare in the United States. Home Healthc Nurse. 32(10):597-600 2014.

ページの先頭に戻る